バイバイ、グッドママ①

「自分の存在価値だと思っているものを手放したらどうなるのだろう」ということを先月のブログに書いたが、そのテーマは私の中でずっと続いている。最近気付いたのは、自分の無意識の奥に奥にあった、「良い母親でいること」へのこだわり、そしてそれが私の一つの大きな存在価値にもなっていたということ。セラピートレーニング等で、散々自分の内側と向き合って、母子関係も探ってきて、結婚する時には、「良いお母さんを目指しちゃだめよ」とも言われたのに、根強くあったんですなあ、「私の理想の母親像」、、、。

さて、ここで言う「良い母親」は私の思う良い母親であって、それはおそらく私自身の母子関係のあり方から比較して、自分が目指しちゃっていたものだと思う。私の場合のそれは、「子供のことを全て受けとめる母親」。私自身は、子供の頃、母に自分の内面を話すことはあまりなかったので(母は受けとめられないと思っていた)、自分の子供達のことは受けとめたい、全て、と思っていたのだろう。ところが最近、子供達3人のことが容量オーバーでこなせないことも増えてくるわ、でも必死でこなそうとするわ、で自分の存在価値が揺さぶられていたのだと思う。

そして、昨日は、先々週末に引き続き、私への子供の不満が噴出。言っている子は先々週の子とは違うけど、言っている内容はほぼ同じ(笑)。私が子供達二人間で起こったことで片方に怒ったら、もう片方が「自分が同じことをされたときは、ママは怒らなかったじゃないかー」という叫び。私の反応も同じで(笑)、「ママだって人間だし、未熟だから、三人に公平にしようと必死にしているけど、できてないと思われるのはしょうがない。でもそういう割り切れない気持ちがあっても一緒にいるのが家族なのー」と自分が揺らいで叫び返し(直情型)。

先々週末のそのやりとりのあとは、自分の大きなこだわりであった「良い母親」に改めて気付き、でも一番自分が心血を注いできたそれさえできてなかったんだ、と思うと、泣けてくるような笑えてくるような。そして引き続いての昨日は、「もうやってられるか!」と何かがブチっと切れて(笑)、「いろいろママに不満があるのはもうよく分かった。でもママだって、言い分はあるし、必要だと思うことはいっぱいやってるつもり、当たり前と思われてるみたいだけど。もうイヤになったから、明日は、(一番目への)朝の送迎もしないし、お弁当も作らない、(二番目への)塾の送迎もしない」と宣言。シーンとする子供達。三番目がおずおずと「ご飯は作ってくれるのか?洗濯は?」と聞いてくる。「そういうのはするよ。しないのは、送迎とかお弁当作り、明日だけね」無言になる子供達だが、一日だけならしょうがないと思った様子。

はー、言ってみて、別に大したことじゃなかったんだな、と。私が、全部受けとめようと必死にならなくても良かったんだ。一日やらない、ということでさえしてこなかったんだ、エライ私(笑)。ちょっとした一歩だし、もしかしたら味をしめてどんどんズボラ母になっていくのかもしれないし、それともやっぱり良い母(私の思う)をやりたくなるのかもしれない。

今朝ちょうど友人が送ってくれた五島のマリア様の写真を見たら、「私が母である」その真実は変わらない、「私は私のままでいい」と思えた。バイバイ、グッドママシリーズ、はきっと引き続き(笑)。

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