過去生の傷
私の「過去生」の体験について少し書いてみようと思う。幼い頃から、魂は永遠と感じていた、知っていた感覚はあったけれど、だからといって過去生が身近かというとそんなことは全くなくて、20代から自己と向き合う内省やセラピー、ワークショップに通い始めたが、当時は、(今生での)家族・人間関係などで抱えたものが浮かび上がってくることがほとんどだった。ただ時折、ブレスワークなど呼吸を使った深いワーク、セッションの際に、今生では全く体験したことがないビジョン、イメージ、言葉などが出てくることがあった。
当時から何度か出てくる印象的なイメージが、自分の左手が鎖のようなもので繋がれ、水に浸されているイメージ。冷たくて、でも高い窓から少しだけ外が見えて、という感覚、イメージを何度も見た。今生では全く体験していないことだが、何度もビジョンを見るので、「これって過去生だよね?」と半信半疑ながらも、そう思うしかなく、またその頃からなのか忘れてしまったけれど、実際、私の左手首にはなんとなく締められているような違和感があるので、そうして繋がれていた過去生の感覚の名残かなと自分なりに辻褄を合わせていた。
そして、数年前のある朝、目覚めた時に突然「水牢」という言葉が浮かんで、調べてみると実際に水牢というものがあったことも分かり、20代の頃から見ていた印象的なイメージは、「水牢に繋がれていたであろう過去生の私」と納得したのだった。
また、つい数か月前のこと。ここ数カ月、自分の身体に向き合う時だと感じていたので、身体にフォーカスしてセッションに入ったのだが、出てきたのが「らい病」にかかっている私(当時は男性)だった。まずは自分から「らい病」という言葉が出てきたことにも驚いたが、おそらく当時の病名はそうで、「私自身がらい病にかかり左上半身が患っている状態、自分のことを諦めてただ死ぬのを待っている状態」のビジョンがありありと浮かんだ。
「水牢」と「らい病」、この2つの過去生は、どちらも左半身を動かすことができない状況で、それでものすごーく納得したのは、自分の身体の不調が右半身に出ることが多かったことだ。そもそもは一昨年の秋に、右手中指に不調が出て、(今生でも)実際に使いすぎなのだが、水牢の過去生からも、(左手が使えず)右手だけを使う傾向にあったからかなあとも思ったが、それにしても、右目や右足にも不調が出ていて、何故右半身にばかり不調が出るのだろうと思っていたのだ。左半身に傷を負う過去生が重なっていて、おそらく右半身だけを使う癖が強く私自身に残っていたのだろう。
以前、セッションをしてくれた友人から言われたのは、「私達は傷を負った場所に、また傷を上塗りする傾向にある」ということ。つまりは、負った傷が強烈であればあるほど「傷を負った自分」の印象が強く残り、転生しても、また同じような場所に、傷を上塗りしてしまうというのだ。これって、身体面だけでなく、心の面でもとっても身に覚えがある気がして、その時もすごーく納得したのだが、今回の私の2つの過去生はまさにその通りのことが起こっていた、ということだ。
おそらく私自身が、身体にコミットしよう、と意識を向けて、右半身にフォーカスしたことで、この2つの過去生が「今」繋がって、私の右半身に持っていた謎が解けたのだと思う。
そして、仕事で「過去生リーディング」をさせていただく際に、「過去生は私達が思うよりものすごーく沢山あって、その中から、「今」出てくる必要がある過去生が出てきます」とお伝えしているのだが、本当に、まさに、その言葉の通りということも、天は改めて私に教えてくれたのだ(とこの記事を書きながら気付いた)。しかも、通常私が過去生を観させていただく際は、大体2つ過去生が出てきて、その2つの過去生(対比される過去生が多い)と「今」との繋がりをお伝えする流れなのだが、私自身にもやっぱり2つの過去生(今回は類似の過去生)を通して教えていただいたのだな、と。天の完璧なはからいは、分かっちゃいるけど、、、です。ありがとうございます。
ずーっと永らく、働いてきてくれた右半身に、「今」は感謝と愛を向け、労わろうと思う。
この2つの過去生以外にも、最近はバンバン過去生が出てくるので、また機会があれば書いてみます。
0コメント