誕生日に想ったこと

昨日は私の誕生日だった。ここのところ3人の子供達の行事が続いていて、23日が10歳の息子の1/2成人式(学校行事)、25日が延期していた次女の7歳の七五三詣り(長女の十三詣り、1/2成人式の息子のお祝いも兼ね、私も含め4人が着物を着て写真も撮れた!)そして誕生日の昨日が長女の中学校の合唱コンクールだった。

行事続きで慌ただしかったものの、子供達それぞれの成長を感じることができたことがまさに誕生日のギフトなのだなあと思う。長男と長女の行事は学校行事でもあったので、同じ年の子を持つママたちと日頃子供に対して感じていることや鬱憤(笑)、悩みもあれこれしゃべったり、楽しい時間のオマケ付きだったし、次女の七五三では、長女が7歳で着た着物を次女が着て、感慨深い気持ちにもなったりした。その行事の合間には、夫と二人でしないといけない家の用事もあり、その一仕事の後は、久しぶりに二人でランチをしてお祝いもしてもらい、まさに神様からのギフトがいっぱい、ありがたやです(笑)。

もう一つ、昨日、我ながら大人になったなあと思ったのは(もうもういい加減いい大人ですが)、おめでとう、と我が子に言われ、突然「生んでくれた母に感謝だなあ」と思ったこと。誕生日に、生んでくれたお母さんに感謝よ、とかよく聞くけど、本当に心からそう思ったのは、昨日が初めてかもしれない、人生ウン十年にして、恥ずかしながら(笑)。で、夜、誕生日だからと電話をくれた母に、そう伝えたら、すごーーーくビックリした様子で、でも嬉しそうだった。

誕生日に急にそう想えた理由は分からないけれど、最近私が心掛けているのは「ちゃんと」やらない、やりすぎない、ということ。

先日、義母と大ゲンカになりそうになった時、私の中から溢れてきたのは「ちゃんと!」という言葉で、その時は、私なり(ここポイント(笑))のちゃんと、を(義母が)してくれない!という怒りが膨れ上がって破裂しそうになった。どんな関係でも葛藤が生まれるのは「私ならこうする」という想いと、その想いを相手に期待するから、と分かってはいて、そうそう人に期待はしないけれど、逃れられない近い関係だと、「えー、フツーこうでしょ!」と根強い自分のこだわりが見えてくる。あ、その時は怒りでいっぱいになって見えていなかったけれど(笑)、友人にシェアして、「私の中に、ちゃんとしないといけない、あるいはちゃんとできなかった、ということへの(過去生かもしれないけれど)、強い想いがあるのではないか」と言われ、ハッとしたのだ。確かに、自分なりにこうしたいという思いはあって、やっているのかも。そんなに無理はしていないし、こうしたいと思うこと自体は悪いことではないけれど、それに私自身がこだわってがんじがらめになっていたところもあったのかもしれない、、、。そう思うと、急にフっと自分が緩んで、義母への怒りも緩んだ気がした。もしかして私、義母を通して、自分の「ちゃんと」のこだわりに対峙して苦しんでいたのかもしれない、、、。翌日義母に会い、自分が伝えたかったことを伝え、拍子抜けするくらい和やかに過ごせたことで、尚更その想いは強くなったのだ。

そんなことがあっての、「ちゃんと」やらない、もしくはやりすぎない最近、なんだかそう思うだけでちょっと可笑しくて(笑)、自分の内側が少し緩んだ感じがしていた。母に自然発露的に感謝の気持ちが出てきたのも、一つ緩んで、自分自身でいることが心地いいと感じられたからなのかもしれない。

子供の成長を感じられたのが誕生日のギフト、と書いたけれど、昨日は最後にまたまたオマケがあって、夕方ぽっかり一人時間ができた。長女の学校が遠いので、昨日の合唱コンクール鑑賞は朝から夕方までの一日行事。で、次女を小学校の放課後クラブに入れて5時のお迎えにしていたのだが、時間ギリギリに慌てて迎えに行ったら、遊びを満喫していた次女は「6時まで遊んでいく」とお断り。習い事に行っていた長男と、長女も同じく6時頃帰宅予定だったので、ぽっかり1時間一人の時間ができたのだ。ま、洗濯物を畳んだり、ちょっと一息ついて過ごした時間だったけれど、自分の門限?のように思っていた時間も子供の成長と共に延びてきたよというお知らせ、これもオマケギフトなのかなあ、と思えた。

誕生日、諸々すべてに感謝です。




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